名鉄及びJR飯田線は豊橋から平井信号場までの3・8kmの区間は線路を共用しています。
何故このようになったかというとこれは元々豊川鉄道(後のJR飯田線)が1897年に開通していたためです。その後駅名が吉田に変わってから愛知電機鉄道が1927年に同駅への乗り入れを果たしたのですが、線路用地の関係から?豊川鉄道と両者共用で単線並列のように建設したためこのようになりました。
これは豊川鉄道が現在のJR飯田線になって愛電豊橋線が名鉄名古屋本線の一部となった今もこの関係は続いていて豊橋駅の名鉄ホームは3番線のみに限られ、本数も1時間に6本に制限されています。また、名鉄名物のミュージックホーンも同区間で鳴らす事が禁じられています。
かつては回生ブレーキも制限されていましたが現在は制限が無くなっています。良く見ると名鉄と飯田線の合流は飯田線が合流してくるのに対し分岐側は飯田線が直進して名鉄が分岐する形になっていますが、これは上り線を名鉄が、下り線をJRが所有してるためです。